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2021.06.01

ハートヴィッヒ・ガウダーさん 追想

富士山がくれたもう一つの「金」ドイツの陸上競歩メダリストが心臓移植後に登頂成功

(東京新聞2021年4月23日付)

旧東ドイツに位置するテューリンゲン州の州都エアフルト市内に3月、富士山の形状の石碑が建った。1997年に心臓移植を受け、昨年4月22日に65歳で死去したドイツの五輪金メダリスト、ハートヴィッヒ・ガウダーさんの墓に寄り添う「鎮魂の碑」。霊峰富士の登頂に挑んだ陸上競歩の元選手が「万人を健康の金メダリストに」と願った証しだ。 (上條憲也)

「私も登りたい、とガウダーさんが言って」。元大学講師の古賀和仁さん(76)=東京都目黒区=が、20年前の出会いを振り返る。2001年、欧州のクリスマス祭事資料集めで現地を訪れ、地元の人からたまたま「近くに住む元五輪選手と夕食でも」と招待された時のことだ。

1980年モスクワ五輪の陸上男子50キロ競歩を東ドイツ代表として制するなど活躍。引退後に大学で建築学を学び直した時、細菌感染から心臓病に。人工心臓での延命を経て、心臓移植が唯一の生きる道になった。

夕食の席でとつとつと語るガウダーさん。回復後も活動的でありたい一方で「どう生きるか」と口にした。古賀さんがふと、出会った人にあげる手土産の絵皿を渡した。富士山が描かれ、日本人が古来あがめてきた霊峰と教えると「急に何かを思ったようだった」。

国家の代表として成績を追求した現役時代の栄光は過去もの。命をもらった「第2の人生」を大切な時間にしたいと考えてきた。ドイツでは臓器移植の啓発などで元サッカー選手のフランツ・ベッケンバウアー氏や元F 1レーサーのミヒエル・シューマッハー氏らと活動。自身のリハビリは現役時の知見から、心拍数を管理し最適な有酸素運動で歩き、循環器などを鍛えた。この運動法はパワーウオーキングと呼ばれるようになった。富士登山は2003年。山梨側の1合目から登り、翌朝に頂上で御来光を拝むと、下山後地元市民らによる歓迎式の場で、スポーツとしてのパワーウオークを教えた。「健康は勝ち取るもの」。来日を重ねながら、共感した古賀さんがつくったパワーウオーキングクラブ日本本部とともに各地に愛好者を増やしていった。

「多くの人は手術をすると行動が消極的になり、だんだん社会から離れてしまう」と話す。古賀さんは十数年前、くしくも心臓の手術を経験した。だからこそ友人の強さが分かる。晩年のガウダーさんは腎臓にも負担がかかり、新型コロナウイルス禍で手術が延期されても弱音は吐かず。今夏の東京五輪に合わせた再来日も願っていたという。

古賀さんや愛好者らで寄付を集め、当初は霊園に桜を植樹する計画もコロナ禍で断念。代りに縦、横、高さ各約50センチの碑を置いた。古賀さんは、競技者の「不屈の精神」で歩き続けたガウダーさんの生き方が、コロナ禍の息苦しさの中でどう生きるかとも重なるといい「こんな時代でも怖がらず、ルールを守りながら立ち向かえ。彼ならそう言う」と代弁している。

 

生前のガウダーさん(右)と並ぶ古賀和仁さん (パワーウオーキング日本本部提供)

ガウダーさんをしのぶ「鎮魂の碑」 (パワーウオーキングクラブ日本本部提供)

 

 

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