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移植治療体験談

体験談1 森本 隆さん、森本 康輝くん

「移植治療は命のリレー」
2004年2月、11歳の息子の心臓移植治療を受けるため、ドイツへ渡航しました。しかし、到着後様態が急変し、脳死の宣告を受け、臓器の提供を申し入れました。
私たち家族は、万一の場合は移植を必要としている人のためになりたいと決めていました。息子自身も自分の病状を理解しており、臓器を提供する立場になった場合は、「使える臓器は使って」と意思表示をしていました。「移植治療は命のリレー」と考えている私たちは息子の死をむだにしたくなかったですし、息子の最後の意思を実現してやりたかったからです。
移植治療の現状を広く一般の人に知ってもらい、移植治療が海外へ頼ることなく日本で実施できるようになってほしいと願っています。

石田 恵梨佳さん

体験談2 石田 恵梨佳さん

生まれてから18年、心臓病と闘ってきました。 19歳の時にドイツで心臓移植に成功し、4年目を迎えることが出来ました。 先生方には、渡航するのは危険すぎると止められましたが、沢山の友達が移植を前に亡くなってきました。
日本で待つというのは、死ぬのを待つ状態なのです。 移植は人が死ぬのを待って生きるのではなく、ドナーとその家族の善意を待って、新しい命を繋ぐ、命のリレーだと思っています。 私が頂いた、「新しい命の贈り物は」沢山の方々の善意と共に、私の「心とハート」を力強く打ち続けています。 これからも、私は自分の足で歩き、普通で平凡な女の子として大事に大切に生きていきます。
助かる命を、助けられる国になって欲しいです。

体験談3 萩原 正人さん

萩原 正人さん

99年の春、肝硬変の末期による静脈瘤破裂で意識不明となり、医師から余命半年との告知を受けました。移植以外に助かる道がないと知ったときは絶望し、人に迷惑をかけたくないからと生きることを一度はあきらめました。当時、国内で初めての脳死移植が行われたばかり、自分がそんな恩恵にあずかれるわけがないと勝手に決め付けていたのです。ただ、ありがたいことに多くの方の協力を得ることができ、海外渡航移植によって命を長らえることができました。そして、移植をしてから7年の月日が経ちました。
妹夫婦に念願の子供が生まれ叔父になり、父を看取ることもできました。母を誘って家族旅行に行き、息子の成長を日々見守ることもできています。もしあの時、移植のチャンスを得られなければ、あるはずのなかった7年間です。
この7年間を振り返り、渡航移植のために尽力いただいた仲間達や、ご協力いただいた多くの方々に改めて感謝いたします。あるはずのなかった7年どころか、まだまだ元気に人生を楽しめそうです。
日本では、まだまだ移植医療は身近ではありませんが、余命半年と告知された命であっても、もし移植が可能であればここまで健康に戻れます。国内でも移植医療が発展されることを願っています。

木内 博文さん

体験談4 木内 博文さん

今から14年と5ヶ月ほど前にアメリカのUCLAという病院で心臓移植を受けさせていただきました。
移植になるまでは2年間ほど闘病生活を送りました。 移植を受ける際には実は私は最初は移植を受けたくないと考えておりました。それはドナーという存在がいたからです。それは皆さんもご存知のように、臓器移植には必ずドナーとなる人がいる。そして生体でない限りドナーとなる人はお亡くなりになってしまいます。そのお亡くなりになった方の上に僕が元気で暮らす。ちょっと考えただけでは道理として受け入れがたい。人の死ぬのを待つ、そんなことはいやだと僕は考えていたので、最初移植が必要ですといわれたときに僕はNOとまでは言えませんでしたけれども、ちょっと考えさせてくださいとはぐらかすことしか出来ませんでした。
でもこの会場に来ているある方が私に向かいまして、当時日本には臓器移植法というものがありませんでしたので、今の臓器移植ネットワークではないのですが、腎臓の移植はすでに行われていたので、腎臓のためのドナーカードというものが各県ごとに置かれた腎バンクというところから発行されていて、その方が私に向かって、ご自身の腎バンクのカードを、ドナーカードを見せてくださいまして、「僕が死んだらドナー になる。それは僕はうれしいんだよ。」というふうに僕に言ってくれました。僕はその時衝撃を覚えました。というのは、この人は死ぬという話をしているのに、うれしいと言っている。僕は死ぬのがいやでいやで、しかし生きるというのもドナーのことがあるのでいやでいやでどうしていいかわからないでいるのに、この人はドナーになるのがうれしい・・・。え!と僕は思って。恥ずかしながらそれまで僕は移植、ドナーというのは人のことであって、自分自身がもしかしてドナーになるかもしれない。自分が死んだ後ドナーになるかもしれないなどというのは、あんまり、いやこれっぽっちも考えたことがなかったのです。その時初めてもしかしたら僕も死んだ後「ドナーになるのかもしれない。ドナーになれるかもしれない。」こういうふうに思って考えました。ああうれしいなともしも思ってくれる人が世の中にいるんだったら僕だってうれしい、ドナーになるのはうれしいことですよと僕も思いました。
移植ってこういうことなのかとフッと思いました。つまりどこかで誰かがお亡くなりになってしまう理由はいろいろだと思います。交通事故なのか、病気なのかそれは分かりません。どこかで誰か、まあ人間ですので必ずいつかは死にますのでお亡くなりになります。その時にきれいな体で天国へ召されたいと思う方だけではないと、この体の一部をドナーとして提供したいと思う方がいらっしゃってその方が誰かのためになって、それを使 うことがうれしいと思うことが出来る方が世の中にはいらっしゃって、そういう人から僕は心臓をいただければ、それは何もおこがましいことではないのではないか、やってもいいことではないか、お願いしてもいいことではないかと思えたときに、ああ僕は助かったな、もうこれで死なないですむなと思えて。

体験談5 宮原 敬助さん

宮原 敬助さん

2009年5月23日にドイツで心臓移植を受けた宮原敬助です。
12才の時に拡張型心筋症だと診断されてから5年後の事でした。
こうして今、私がここにいることは奇跡としか言いようがありません。
人の3倍も大きくなった心臓での闘病は苦しさしかありませんでした。
どんなに前向きになろうと頑張っても限界がありました。
それが、移植という治療でこんなにも劇的に元気になれたのです。
現在21歳になった私は、スポーツにアルバイトに勉強にと頑張っています。
そして、移植というすばらしい医療を知ってもらう事、命の大切さをより多くの方に知ってもらうために微力ですが力を注いで行きたいと考えています。

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